アントニン・ドヴォルザーク ユモレスク 第7番 アナリーゼ(楽音分析)

音楽解説

このコーナーはクラッシック音楽ができた背景や作者について解説します。

この記事を読むと以下の役に立ちます。

・クラシックについて豆知識を覚えられる

・周りからクラシックについて知っているんだなと思ってもらえる

・音楽を知っているだけでなく、作品の背景や作者の小話も話すことができ、ほんの少し人生が豊かになる

こういった音楽作品について学ぶことをアナリーゼと呼びます。

 

この記事では音楽作品:アントニン・ドヴォルザーク  ユモレスク 第7番について解説します。

 

作品の解説

この作品は『8つのユモレスク』の一つです。


『8つのユモレスク』 作品101は、アントニン・ドヴォルザークが1894年の夏に作曲したユモレスク集です。

中でもこの変ト長調 第7曲は、最も有名なピアノ曲の一つに数えられています。
 

ユモレスクとは軽やかな気分の小曲という意味です。
 

1894年、ドヴォルザークは家族とボヘミアで夏休みを過ごしました。
 

この休暇中に、蒐集した素材を用いてピアノのための小品集の作曲に着手し、7月19日にロ長調の小品をスケッチしました。
 

間もなく、出版を目論んでこの曲集の完成に取り掛かり、1894年8月27日に譜面が出来上がりました。
 

草案の段階では『新スコットランド舞曲』と呼んでいましたが「ユモレスク」と改められ、楽譜が出版されました。
 

全部で8曲のなかの第7番が、名ヴァイオリニスト・クライスラーによって、ピアノ伴奏を伴うヴァイオリン独奏に編曲されたことなどもあり、最も有名です。
 

リラックスした感じで始まる主部の部分と、ボヘミアの哀愁を感じさせる中間部の旋律の対比もすばらしく、「ドヴォルザークのユモレスク」として単独で演奏されることも多く、クラシックのジャンルも超えて、広く親しまれている名曲となっています。

  

難易度

 

楽譜

 

解説付きクラシック動画

動画にもしているのでこちらでもどうぞ

 

音声あり

 

音声なし

 

こんな音楽をピアノで弾きたいあなたへ

ピアノを弾きたいのであれば良い指導者のもとで練習あるのみです。

おすすめをいくつか紹介するので参考にしてください。

  

椿音楽教室

東京都内であればこちらがおすすめです。

1曲だけ引きたいというニーズにも対応しているため自分に合った受講ができます。

現在はオンラインレッスンも対応しています。

 

椿音楽教室

 

シアーミュージック

こちらは全国に教室があり、マンツーマンで教えてもらえる点が魅力です。

音楽は教えてもらう先生によって上達の速度が大きく変わります。

相性の良い先生から教わって一気に上達しましょう。

 

シアーミュージックの無料体験レッスン申込はこちら

 

独学でやりたいかたにおすすめ

こちらは独学向けの方におすすめです。

初心者がピアノをマスターするのを目的に作っており、自分に合ったペースで練習できます。

 

30日でマスターするピアノ教本

次の記事

F.J.ハイドン 交響曲 第94番 ト長調  驚愕 アナリーゼ(楽音分析)
ハイドンが生涯の大半仕えてきたエステルハージ侯の死去に伴って、候家を去ることになってから、経験したロンドン旅行の1回目の滞在期間中にあたる、1791年に作曲した作品です。 この楽曲に付与されている『驚愕』という愛称は、第2楽章冒頭の主題が最弱音にて2度繰り返し演奏された後に ティンパニを伴った全奏者で不意打ちを食らわせるが如くに、強く演奏するところから名付けられたものです。 作曲者自身が命名したのでは無く、初演から間もなくして初演地の地元・ロンドンで発行された新聞紙上に掲載されたことで有名になりました。 こうした作曲の仕方を採った背景として、ハイドン自身が1度目のロンドン滞在中に目の当たりにした聴衆のマナーの悪さが原因でした。 当時、聴衆の中に居眠りをする者が少なからず存在していました。 このことに癪に障る思いを抱いていたハイドンは、持ち前のユーモアさなどを活かし、 この楽曲を使って聴衆をたたき起こそうと行動を起こしました。 実際の演奏の場では、第2楽章の強奏箇所のところでハイドンはティンパニ奏者に対し力一杯叩くよう指示しました。 ハイドンの狙い通りに聴衆がビックリして飛び上がったという話も有名です。

前の記事

フランツ・リスト ラ・カンパネラ アナリーゼ(楽音分析)
カンパネラはイタリア語で「鐘」という意味があります。 この曲は親しみやすい旋律と華やかなピアノの技巧から、ピアノ曲で有名です。 特に楽譜の見た目に特徴があります。 異常ともいえるほどダイナミックな見た目をしていて、もちろん演奏には非常に高い技術が要求されます。 リストは1811年にハンガリーで生まれ、ウィーン、パリで学び、ヨーロッパ各地で演奏旅行をしながら、拠点をスイス、ヴァイマール、ローマと移していった、国際色豊かな人でした。 10歳のときに練習曲集で有名なツェルニーに学び、12歳のときにはベートーヴェンが演奏会に来るなど、幼少期から才能を発揮し、高い名声を得ていました。 20歳のとき、パガニーニの演奏会を聴き、「僕はピアノのパガニーニになる!」と叫んだという逸話があります。 パガニーニは当時のスター的なバイオリニストで、悪魔に魂を売り渡したと言われるほどの技巧を持ち、逸話は枚挙にいとまがありません。 作曲家としても非常に優れていて、特に親しみやすい旋律は、後世の作曲家たちに多くのインスピレーションを与えています。 リストもパガニーニの影響を強く受けた作曲家の一人で、パガニーニの曲を何度もピアノ独奏用に編曲しています。 そのうちの一つが有名なこの「ラ・カンパネラ」です。 原曲は「バイオリン協奏曲第2番 3楽章」、通称「鐘のロンド」です。

 

関連記事

コメント

タイトルとURLをコピーしました